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サミュエル・バークレイ・ベケット(1906-89)。1906年4月13日の聖金曜日に、アイルランド、ダブリン州の裕福な村フォックスロックで生まれた。若かりし頃に得意だったスポーツは、水泳、ボクシング、クリケット、ラグビー、テニス、ゴルフ。他にも、趣味でピアノやチェスなどをやっていた。飼っていた犬は、ケリー・ブルー・テリア。21歳でトリニティ・カレッジ・ダブリンを首席で卒業し、金メダルを授与された。翌年、パリの名門エコール・ノルマルの英語講師になり、その頃ジェイムズ・ジョイスと知り合う。ジョイスとは親しく、「白鳥の島」(セーヌ川の中の島)を二人で散歩したこともある。32歳のときに、パリ・コンセルヴァトワールのピアニスト、シュザンヌ・デシュヴォー=デュムニールと親しくなり、55歳のとき正式に結婚した。46歳のときに『ゴドーを待ちながら』を、52歳のときに『クラップの最後のテープ』を、74歳のときに『オハイオ即興劇』を書いた。83歳の7月、シュザンヌ・ベケット死去。同年12月にサミュエル・ベケット死去。二人ともパリ、モンパルナス墓地に埋葬されている。
中尾幸志郎(1997-)。1997年11月14日、長崎県時津町生まれ。小学生の頃、ジンギスカンとマイケル・ジャクソンに傾倒する。中学校から高校のあいだは、陸上競技部に所属。2016年に上京。大学1年生の冬、こまばアゴラ劇場を知る。その翌年に大学の陸上部をやめ、駒場祭文三劇場企画ではじめての脚本・演出を担当する。さらに翌年、継続的な演劇活動のため散策者を結成。現在、留年中。
長沼航(1998-)。1998年1月21日、横浜市生まれ。小学3年生から6年生までマーチングバンドでユーフォニアムとチューバを担当、中学校では一転して科学部に入部して週末はゴスペルを歌う日々を送る。高校で吹奏楽部に入部し先輩の強い勧めで打楽器を始める。大学1年生の秋、下北沢本多劇場でヨーロッパ企画『来てけつかるべき新世界』を観てから演劇の継続的な観客を志す。その後、2019年頃から俳優として演劇創作に携わり散策者のメンバーとなる。大学をなんとか卒業し、今春から横浜国立大学大学院都市イノベーション学府建築都市文化専攻横浜都市文化コース(Y-GSC)に在籍。Webサイトはこちら。
田中優之介(1997-)。1997年12月9日、鳥取県岩美郡国府町(現鳥取市)生まれ。小学校では野球部に所属し、キャッチャーを守る。中学校では、はじめ1年1組に所属していた。中学卒業後は、鳥取県立鳥取西高等学校に進学し、合唱部に入る。中学生のときより宇宙に興味があったが、高校3年生で『部分と全体(W.ハイゼンベルク著)』を読み、量子力学を専攻とすることを決意。大学入学後、英語劇サークルに入り、役者としての活動をスタートした。Twitterでの発言内容は、主に対話と場づくりについて。
原涼音(1997-)。1997年8月7日、長野県箕輪町生まれ。小学1年生の時、地元にある劇団の『銀河鉄道の夜』の公演を観て号泣。それから4年後にその劇団に入団し演劇を始める。中学高校では演劇部には入らず吹奏楽部でバスクラリネット・クラリネットを担当する。
大学進学を機に上京し、大学2年生から東京大学の演劇サークルに参加。その後3年生の春に昭和女子大学を退学。その年の9月の旗揚げから散策者に参加、以後全ての公演に出演。現在は劇場、スーパーなどでアルバイトをしながら暮らす。映画美学校アクターズ・コース9期生。好きな食べ物はパピコ。
岡澤由佳(1998-)。1998年8月19日、長野県松本市生まれ。小学生の頃指定の通学鞄に憧れたものの、すぐ引っ越すからだめと諭されランドセルを背負う。案の定、夏に引っ越す。中学入学を機に演劇部と合唱団に入り、中学高校と演劇をつくること・歌うことに取り組む。大学入試を終えた翌日に『K.テンペスト』を観に行き、演劇にまた心惹かれる。大学1年生の春から劇団コギトで創作を行う。その後、散策者の発表会 vol.1 から散策者に携わる。


自動車で起こした事故の回数:3回。 Twitter

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